付添人経験交流集会で長崎に
去る2月17日から18日にかけて、長崎で開催された全国付添人経験交流集会に参加しました。
中部空港から長崎へ行く便は朝とても早い便と夜遅めの便しかないので、福岡を経由し、福岡からは博多・武雄温泉間のリレーかもめ、武雄温泉・長崎間の西九州新幹線・かもめに乗り継いで、長崎に向かいました。
会場は、長崎駅の目の前に新しくできたMICE、出島メッセ長崎。さすが田上長崎市長肝いりの施設、大変便利です。
「付添人」経験交流集会とありますが、少年事件の「付添人」活動に限らず、広く子どもの権利に関する各弁護士会の取組を学ぶものとなっています。現に、私が参加した分科会は、校則に関するものと、子どもの権利に関するLINE相談の実践例。
「子どもの権利ムラ」の内輪で盛り上がっている感じと懇親会が食事やコンテンツの割に1万円と高額なのが大変気になりますが、報告はそれぞれ勉強になりました。
「校則の見直しを全国で」と題する分科会は、千葉、福岡、佐賀の単位会での、校則の見直しに関する取組の報告でした。
高校時代の校則を振り返ると……
私は、名古屋市内にある愛知県立旭丘高校という、校則がほぼ死文化した学校に通っていました。
例えば、制服はあるけども、多くの生徒が着ない。
当時も今も名古屋市内でトップレベルの公立進学校ですが、ダサい学ランでさらに3年間も過ごしたくなかったので、中学校では4が2つ、それ以外は全て5という成績をとった上で、進学しました。
卒業式は、制服ではなくスーツでした。
そして中学時代を振り返る
名古屋市内の公立中学校に通い、1年生から3年生まで生徒会の役員をやっていましたが、1年生のときに校則の見直しが行われ、生徒会での議論を経て、コートやマフラー着用、水筒の持参、指定バッグの廃止とリュックサックの使用が認められるようになりました。
修学旅行は、各自、制服ではなく、私服で、伊豆、横浜、東京を巡っていました。
25年四半世紀以上前のことです。
そんなわけでブラック校則は意味不明
そんな中学、高校時代の経験がありますから、それから20年以上過ぎて、ブラック校則などと騒がれているのは、意味不明と言わざるを得ません。
21世紀になって20年以上経ったのに、殊に校則については、何も変化しなかったのか、とりわけ、ブラック校則がなぜ放置され続け、教員すらおかしいと思うはずなのになぜそれを守らせることを続けたのか、と。
ブラック校則が残る背景
ブラック校則が残り続けた背景としては、学校教育の現場で、子どもの権利や子どもの意見表明権という視点が悉く欠けていることが指摘されています。
校則は、子どもの権利を何らかの形で制限している可能性があり、特にその制限の度合いが社会通念に照らしても著しく不相当といえるものが、ブラック校則であるように思います。
子どもの権利を何らかの形で制限している可能性があるのではないか。そういう意識が欠落していたが故に、権利侵害の度合いが甚だしいものも残り続けたのではないか、と。
また、学校教育の現場において、校則を見直すという視点が欠けていたこともブラック校則が残り続けた背景として挙げられています。
見直すプロセスがないからこそ、不合理でも残り続けたのではないか、というものです。
校則の適否は子どもの権利との関係で見るべきである、そして、校則を見直す・変えるプロセスのルールづけをしていくべきである。
こういう問題意識を持って、校則の見直しが進んでいく流れは歓迎すべきことだと思います。
スクールローヤーとしての対応
もっとも、私はとある地域のスクールローヤーを務めており、学校からの相談を受ける立場にもあります。
生徒が金髪で来た、どう対応したらよいか……こういう相談が来たときどうすれば良いのでしょうか。
もちろん、ヘアスプレーをぶっかけて、黒に染めれば、体罰に当たりますし、刑法上は暴行罪にも当たります。
そのルールが合理的なものなのかどうかも踏まえて生徒指導をしていく必要があるでしょう。
つまり、そのルールにより、生徒のどのような権利が制限されているか、ルールによる制約はどのような理由で正当化できるか、具体的には、制限の目的、目的達成のための手段、必要かつ合理的な制約と言えるかどうか、検討する必要があります。
髪の色を何色にするか、特に地毛を別の色に染色又は脱色するというのは、どこまで権利や法的に保護される利益と言えるか微妙ですし、保護の度合いは低いように思います。
防寒着の着用の制限、日焼け止めの使用の制限が、生徒の生命身体の安全や健康を害しかねないのとは対照的です。
もっとも、なぜ髪の色を制限するのかその理由を説明するのは、一応、学校の秩序維持といった形式的な理由を挙げるのでしょうが、理由を仔細に突き詰めていくとかなり難しかったりします。
髪の色を多様にすることで秩序、風紀が乱れるおそれがある……どれだけエビデンスを挙げて説明できるのかは微妙です。
突き詰めていくと、明確な理由が見いだしにくいのです。
さらに、生徒の国籍、人種、文化の多様化を考えると、規定の書きぶりや規制の仕方によっては人種差別に繋がりかねません。
ルールの見直しは経営や技術革新においても重要
ルールを合理的な観点から見直すことは、経営や技術革新の観点からも大事なことです。
1996年から1997年に私の中学校で校則の改定がなされたのは、規制緩和という風潮もありました。従来の日本的な考え方ではやっていけないという、昨今の日本称賛の対極の、日本バッシングに近い風潮もありました。
極端な風潮に流されてルールを見直すのはいかがなものかと思いますが、ルールが不合理でないか、そもそもルールが必要かを不断に検証しアップデートしていくこと自体は大切なことです。
そもそも、学校は、行政の一つであり、法令に基づかなければなりません。
学校の指導が法令に反していないか、不合理でないかどうかを見極める視点の一つが、人権の観点です。
不合理な内容の校則が放置されることについては、教育の視点が欠けているとも言えます。
そこには、どのような人を育てていくか理念も哲学もありません。そして、不合理なルールに疑問を持たない人たちを育てることは、教育の敗北です。
そんなことを、二十六聖人殉教の地、長崎で感じました。